■宮崎駿は作家であり、僕は作家でなかった――富野由悠季氏、アニメを語る(前編)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/08/news010.html
■ガンダムは作品ではなく“コンセプト”――富野由悠季氏、アニメを語る(後編)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/08/news035.html
>動く絵、つまり子どもが見ても大人が見ても分かる表現手法によって物語られているのが映画的な手法だと思っています。
「映画とは時間と空間を切り取り凝縮した実時間を超える内容を与える映像」なんて思ったりしていますが、この富野監督の考え、あまりらしくないなと思います。
>視聴者が「何かそういうものがあるのではないか」という期待を込められるものであったために、ガンダムは30年間生き続けてたと思っています。そのため、先ほど名前を挙げられたようなほかのタイトルとは実を言うと基準が違うんです。(エヴァンゲリオンやマクロスと)比べるな!!
ここでの30年間もつと言う意味は、1作品の生命としての30年間ではなく、30年間リメイクなり別スタッフによる続編が作られる過程を指していると思います。
ロボットの実在性を支えるコンセプトによって、後のガンダムシリーズの世界観を敷き詰めた上での企画の通しやすさはあると思いますが、企画の通しやすさ故に物語性をガンダムとはかけ離れたものを飲み込んでしまった悲劇があります。
それは30年間生きたとは言い難く、実際30年間生きたのはファーストガンダムと少しの作品。
ファーストガンダムの良さは、そういうコンセプトありきの売りのためにあるのではなく、物語性そのものだと思います。
ここの理解が受け手とずれているということは、悲しいかな今後、ガンダムを越える富野作品は少なくともガンダムシリーズでは期待できそうにないわけです。
>ガンダムは作品として完結していないのです、ガンダムはコンセプトしか定義していなくて、実を言うと作品になりきっていないのです。
作品にすれば、作家にもなれたかもしれないのに。
今のまま話題性のあるテレビシリーズを再編集する手法では映画にはならない。
インタビューの中で政治論がかなり飛躍したというか過激な内容で語っているのを見ると、この意見をダイレクトに反映させる、すなわち好きにやらせると結局、制作が暴走して上手くいかない法則。
だから、縛りのきつい中で暴れてもらった方が、光明が見えそう。
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